大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和63年(く)62号 決定

抗告申立人 請求人

請求人 緒方靖夫 代理人 上田誠吉 外二七名

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、申立人代理人上田誠吉ら共同作成名義の抗告申立書に記載されているとおりであるから、これを引用する。

一  被疑者林敬二、同久保政利について

所論は、要するに、原決定の示した刑法一九三条(公務員職権濫用罪)の解釈を非難し、ことに、原決定が、公務員の職権濫用行為に関し、「相手方において職権の行使であることを認識でき得る外観を備えたものでなければならない。」とした点につき、このような職権行使の外観を備えることは構成要件上要求されていないからその判断は誤りであり、ひいて、本件盗聴行為が請求人はもとより何人にも覚知されないよう密かに行われたもので公務員職権濫用罪には該当しないとした原決定には公務員職権濫用罪の解釈適用を誤つた違法があり、取消しを免れない、というのである。

そこで記録を調査して検討すると、関係証拠によれば、本件事実関係は原決定が詳細判示するとおりであることが認められ、これによると、被疑者林敬二、同久保政利は、神奈川県警察本部警備部公安第一課所属の警察官として、日本共産党関係の情報を含む警備情報の収集に関する職務を担当していたものであるところ、同党関係の情報を得るため、職務として、他の警察官と共謀のうえ、同党中央委員会国際部長である請求人の原判示自宅に架設されているダイヤル式電話機による通話を盗聴しようと企てたこと、昭和六一年一一月ころにおいては、原判示マンシヨン「メゾン玉川学園」前路上の電柱に取り付けられている有線電気通信回線端子函内の請求人方電話機に通ずる電話線に原判示の工作が施されており、その結果、同マンシヨン二〇六号室に架設されたプツシユホン式電話機により、請求人方電話の通話内容を密かに聴取することができる状態にあつたこと、被疑者林敬二、同久保政利は、同年一一月中旬から同月下旬にかけて、右二〇六号室において、右電話機等を用いて請求人方電話の通話内容を盗聴しようとしたこと、そのころ、本件につき共謀関係にある警察官が盗聴に成功したと推認できる状況が存在すること、そして、右の盗聴工作及び盗聴行為は、請求人を含め何人にも容易に察知されないよう周到な計画のもとに隠密裡に行われたものであることが認められる。

右の事実関係に基づき、本件盗聴行為が刑法一九三条(公務員職権濫用罪)の構成要件に該当するかどうかについて判断するに、同条にいう「職権を濫用」するとは、公務員がその一般的職務権限に属する事項につき職権の行使に仮託して実質的、具体的に違法、不当な行為をすることをいうが、同条の罪が成立するためには、右の濫用行為を手段として「人をして義務なきことを行わしめ、又は行うべき権利を妨害」することを要するのであるから、当該公務員が違法、不当な行為をするに当たり仮託する職権の行使は、一般的職務権限に属するすべての職務行為をいうのではなく、行為の相手方の意思に働きかけ、これに影響を与えて、義務のないことを行わせ、又は行うべき権利について不行使を余儀なくさせるに足りる性質のものであることを要すると解すべきである。すなわち、具体的に行われた公務員の行為が同条に該当するためには、このように相手方の意思に働きかけ、これに影響を与える職権行使の性質を備えるものであることを要する。従つて、警察官が、職務上の行為として警備情報入手のため、密かに信書開披や書類窃取の行為をした場合、これが信書開披罪や窃盗罪によつて処断されることはあつても、右行為は、前述したような、相手方の意思に働きかけ、これに影響を与える職権行使の性質を備えていないから、公務員職権濫用罪の構成要件には該当しない。この点に関する原決定の例示はこの意味において是認することができる。

これを本件についてみるに、被疑者林敬二、同久保政利が他の警察官と共謀のうえなした本件盗聴行為は、前記のとおりであり、行為の相手方である請求人の意思に働きかけ、これに影響を与える職権行使の性質を備えていないから、これが公務員職権濫用罪の構成要件に該当しないことは明らかである(右被疑者らの本件盗聴行為は電気通信事業法一〇四条に該当し、同条によつて処断されるべきである。)論旨は理由がない。

二  被疑者田北紀元、同家吉幸二について

所論は、要するに、原決定は、本件盗聴行為を警察官の組織的犯行であると認定し、かつ被疑者田北紀元、同家吉幸二がアジトへの出入りやその賃貸借契約書の捺印などに関与した形跡を認めながら、右被疑者両名について、被疑者林敬二、同久保政利らとの本件共謀関係を否定したのは、事実認定における経験則に照らし到底首肯し得ないものであつて取消しを免れない、というのである。

そこで検討するに、関係証拠によれば、本件盗聴行為は神奈川県警察本部警備部公安第一課所属の警察官らによつてなされた組織的犯行であること、本件盗聴を行う場所(アジト)として確保された前記マンシヨン「メゾン玉川学園」二〇六号室の賃貸借契約書の賃借人田北昌彦名下に同公安第一課所属の警察官で昌彦の実父である被疑者田北紀元の印鑑が押捺されていること、被疑者家吉幸二も同公安第一課所属の警察官であり、同室に出入りしていた形跡のあることなどが認められる。しかしながら、本件のような態様の盗聴行為が公務員職権濫用罪の構成要件に該当しないことは前叙のとおりであるから、被疑者田北紀元、同家吉幸二と被疑者林敬二、同久保政利らとの間の共謀の有無など所論指摘の点について検討、判断するまでもなく、論旨は理由がないことに帰する。

以上の次第であるから、本件について、検察官が被疑者らに公務員職権濫用罪の嫌疑がないことを理由にして被疑者らを不起訴処分にしたことは相当であるとした原判断は正当であり、本件抗告は理由がない。

よつて、刑訴法四二六条一項後段により、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 岡田光了 裁判官 坂井智 裁判官 生島三則)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例